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★今日11/29は【舞浜】の誕生日♪ [ ★カモさん流の楽しみ方]

 
 
明日29日にエントリできるかわからないので、1日フライングですが、本日11/28にアップします。11/28にお読みになる方はその点ご了承くださいませ♪

 11/30 記事の最後に06/11/29に飛行機から撮影した舞浜地区の写真を追加♪
 空から見たら、新しいホテルの建設が思ったよりもすすんでいました^^

 
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 こんにちは!
 出張に、主夫業にと忙しく、なかなかパークまで足をのばせないカモさんです(^^;)
 そんなときに綴ってみる「カモさん流の楽しみ方」…今日はお誕生日のお話です♪
 
 
 JRや首都高でパークに行く人にはおなじみの地名ですが、
 【舞浜(まいはま)】は今から33年前、昭和50年11月29日に命名されたそうです。
 
 つまり、今日11/29は【舞浜】の誕生日♪
 ですので今日は、舞浜、そしてTDLの命名に至るちょっとしたエピソードをご紹介してみます♪
 ( いわゆる ” マイアミ説 ” ではないですよ~ (o^ー')b )
 

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 昭和50年というと…、
 ちょうど1年前に ディズニー社がパーク候補地として日本を視察し、オリエンタルランド(OLC)社の夢と魔法と情熱に満ちたプレゼンテーションもあって当地に即決!最終的な契約に向けて動き出していた頃です。
 
 この頃は、まだパーク予定地は「浦安町地先C地区」などという仮称で呼ばれていたそうです。 その後、国に正式に認可を受けるために、当時の浦安町議会によって【舞浜】と命名されました。
 
 地名の由来は、米フロリダのウォルト・ディズニー・ワールド(WDW)近くにあるマイアミビーチにちなんだ…というのは有名ですね。一応、浦安市の公式見解もそうなっています。
 
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 で、ここから少しずつ命名のエピソードに入っていきますが…、
 
 じつはこの「舞浜」、命名者は浦安町議会(当時)ですが、候補名を提案したのはオリエンタルランド(OLC)社だったのです♪
 
 ディズニーとの基本合意が評価され、地名を考えるときに町議会から 「OLCの意見を受け入れる用意があるよ♪」 との計らいがあったのです。
 
 OLC社内では、さっそく名前の検討にかかりました。
 
 そして挙げられたのが 「四季」 や 「江戸川崎」 といった候補名でした。
 
 しかし「四季」は、「死期」と同じ読みに通ずるためあえなく却下(^_^;)
  
 そして「江戸川崎」ですが…、
 ちょうど旧江戸川の河口ですし、東京湾の対岸には川崎があり、これとの対比も面白いし、「江戸川崎」という地名は一見よさそうに思われたのです。
 
 

 しかし、こちらもこんなエピソードがあって却下されちゃいました。
 じつはこの「江戸川崎」は、発案者のシャレっ気でダブルネーミングになっていて、もう一つの命名理由が隠されていたのです。
 
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 ここでちょっと話が少し飛びますが、東京ディズニーランドの建設にとっても、とっても、とーっても重要な役割を果たしたお三方がいるんです。
 
   ★1人めは、もちろん「TDLの父」とも呼ばれた高橋政知さん(OLC2代目社長)。お名前を聞いたことがある方も多いと思います。ワールドバザールの2階窓にもお名前が刻まれている方です。
 
   ★2人めは、日本にディズニーランドを創りたいと夢を描いた川崎千春さん(京成電鉄社長(当時)兼OLC初代社長)
 
   ★そして3人めは、TDL建設の後ろ盾となった江戸英雄さん(三井不動産会長(当時))。江戸さんは高橋さんをOLCに送り込んだ人物でもあります。
 
 つまり、3人の果たした役割を簡単にまとめると
  「川崎さんが最初に夢を見て、江戸さんがチカラになってくれて、高橋さんが実現させた
 という感じになるんです。
 
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 で、話を戻して「江戸川崎」ですが、ダブルネーミングのもう一つの理由、もうおわかりですね^^

 そう、さきほど話にでてきた江戸さんと川崎さんの苗字を合体させたものでもあったのです(笑)。
 
 普通の人なら 自分の名前が地名として残るのかぁ…とニンマリとして「うん、まぁ 悪くないんじゃない♪」くらい言いそうな感じですよね。
 
 でも、そこはさすがに人間の器が大きいお二人でした。
    「そんなふざけた名前はやめて、もっとマジメに考えなさーい(笑)」
 と一笑に付して この件はあっさりとボツになったそうです^^
 
 
 そんなときに、もう一つOLC社内から出てきたのが「舞浜」という地名だったんです。

 「」はエンターテイメントを想像させる字ですし、
 「」は、もともと海に面した土地で、対岸の横浜とも対比できます。

 そして「まいはま」という読みは「My浜」つまり「私の浜」という意味も感じさせる(TDLテーマソング「東京ディズニーランド イズ ユアランド」にも通じますよね♪)ということで決定。OLCから浦安町議会へと推薦されました。
 
 町議会にも「優雅で良い名前だ」と受け入れられ、そしておそらくこの時点で「マイアミ説」も付け加わり、晴れて昭和50年の11/29に【舞浜】と命名されたのでした♪
 
 
 
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■東京ディズニーランドの命名ウラ話もご紹介♪
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 ついでといってはなんですが、命名エピソードつながりということで「東京ディズニーランド」の話もいってみましょうか♪
 
 昭和49年にディズニー社とOLC社で基本合意ができたあと、実はまだちゃんとしたパークの名称は決まってなかったんだそうです。
 
 この時点では日米どちらともなく、仮称で【オリエンタル・ディズニーランド】と呼んでいました。
 (縮めて読むと…オリエンタルランド…ということなのでしょうね、きっと(^_^;))
 
  TDLシンボルマーク、最近はシンデレラ城のシルエットのコレ↓ですが、
 
 
 
  数年前まではこんな↓マークだったですよね♪ 見覚えのある方も多いと思います。
 
 
 
 
 このミッキーマークの周りにある「O」と「D」が、「オリエンタル・ディズニーランド」と仮称で呼んでいたころの頭文字が由来になっている、いわば当時の名残なんだそうです。
 正式名称が「東京ディズニーランド」と決まったあとも、このシンボルマークだけはこのままで行こうと日米で合意してその後も使用していた…という訳ですね。
  
 で、このマーク、今でもパーク内の何カ所かで目にすることができるんです♪
 ゆくゆくはなくなっちゃうでしょうから、見るとしたら今のうちかもしれませんね(笑)
 
 さて、パーク命名のウラ話をもう少しすすめましょう。
 
 
 そろそろ正式名称を決めよう!といったときに、アメリカ側が提案してきたのは「Disneyland」の語尾に「o」を付けた【Disneylando ディズニーランドォ】っていう名前だったんですって。
 
 
 これは日本語で「Disneyland」を読むとき、語尾にアクセントがくる「でぃずにーらんど」っていうベタ読み発音をもとにした提案のようです。
 (英語発音だと「でぃずにらんっ」って感じで「ど」はほとんど聞こえませんもんね^^)
 
 でも「やっぱり なんか変だよ~!」ということで、日本側でも名前を考えることになりました。
 そして考え出されたのが、これらの↓名称たち…。

   「ディズニーランド・ジャパン」
   「東洋ディズニーランド」
   「東京ディズニーランド」
   「ディズニーランド東京」
   「ディズニーランド2」
   「ニュー・ディズニーランド」
   「ニュー・ディズニーワールド」
 
 …など12候補くらいあがったそうです。
 
 そして、最終的にOLCから「東京ディズニーランド」をディズニー側へ提案、そして了承されて
正式名称となったんだそうです。
 
 もし、みなさんだったら どの名称をお選びになりますか?(^o^)
 
 
 今日は暮らしの雑学辞典…じゃなかった(^_^;)。。。舞浜とTDLの命名エピソードをご紹介してみました~♪
 
 
 
 
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【オマケ】 タイムマシンでみる舞浜の変遷
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 では、この辺で今日のオマケ~♪
 ここからはタイムマシンに乗って、昔の舞浜の様子を上空から見てみましょう♪
 
 タイムトラベルのお手伝いをしてくれるのは、もちろんあの方!
 今は無きトゥモローランドのアトラクション「ビジョナリウム」からタイムキーパーさん、そしてナインアイさんです!みなさま、拍手でお迎えしましょう♪
 
 
 
 
 では早速、今から60年前。 昭和22年の舞浜地区へ時間を遡ってみましょう。
 じゃ、タイムキーパーさん、今から60年前の世界へお願いします!
 
 
■昭和22年の浦安町
 
 
 着きましたー!これ↑が「沖の百万坪」と形容された昔の舞浜地区です。
 画面右には、ナインアイが今の舞浜地区の地形を投影してくれていますねー。
 
 広大な干潟は、旧江戸川の三角州(デルタ)地帯…。
 つまり、忘れられた川(旧江戸川)のデルタ、ということは…たぶん、偶然なのでしょうが「ロストリバー・デルタ」なワケですね、ハイ^^
 
 それから、昭和初期の浦安町を舞台とした小説「青べか物語」の作者 山本周五郎は、昭和3年に行徳へ向かう途中「水の都ベニス」を想像させたこの浦安町で船を降り、1年あまり滞在したそうです。
 
 この時代から半世紀以上も後に、本当にロストリバーデルタやベネツィアの風景が広がることになるとは、当時の人たちは夢にも思わなかったことでしょう…^^;
 
 
 
 
 じゃ、次は時間を少しすすめて、ディズニー社が海外初のパーク候補地を視察しに来た昭和49年の舞浜地区を見てみましょう。
 
 
■ディズニー社が候補地を視察にきた昭和49年の様子
 

 おっ、埋め立てが完了してますねー。
 埋め立て地の上の方にみえる円弧状の部分は首都高の建設予定地でしょうか。
 もちろんこのときには、まだ京葉線もできていませんね。
 
 ディズニー社の首脳陣は まさにこの状態を見て、首都東京からわずかの距離に こんなに手つかずの広大な土地があることに驚き、そして、
  「まるで、NYのマンハッタン島の目と鼻の先にパークをつくるようなもんじゃないか!」
 と大変興奮したそうです。
 
 ディズニー社の視察(昭和49年12月4日)(日経新聞1999.07.17より引用)
 
 では次は…この10年後。
 ついにグランドオープンした東京ディズニーランドの1周年目のころを見てみましょう♪
 
 
 
■ランド開園1周年の様子(昭和59年)
 
 
 基本的なカタチは現在と同じですが、細かくみるとまだショーベースが工事中だったり、スモールワールドがやたら大きかったり(昔は大きいレストランが隣接してたんですよねー^^)、当時の様子がよく分かりますね。
 
 では、ここから更に5年後を見てみましょう。
 タイムキーパー、いまから5年後にお願い♪
 
 
■ランド開園6周年の様子(平成元年)
 
 
 ハイ、着きました。今は平成元年、TDL開園6周年の様子です。
 
 さきほどと比べて、ビッグサンダーマウンテンが出現したのが一番大きな変化ですね。
 まだこの時点ではクリッターカントリーはできていませんし、トゥーンタウンもまだ非公開な状態ですね^^
 
 
 じゃ、更に12年後にすすんでみましょう。
 12年後の平成13年には、東京ディズニーシーが完成しているはずです。
 
 
 
■シーが開園した年(平成13年)
 
 
 ハイ、平成13年(2001年)に着きました♪
 
 この年は、すでに開業していたオフィシャルホテル群を始め、前年にはイクスピアリ、
 そして本年にはリゾートライン、東京ディズニーシー&ホテルミラコスタと相次いで開業し、
 ついに「東京ディズニーリゾート」が本格的に始動し始めた年です。
 
 せっかくですので、ナインアイの特殊能力を借りて時間の流れを早回しで見てみましょう♪
 


  

■立体写真でみるランドとシー
 【平行法】と【交差法】、そして立体視が苦手な方のための【ミラー法】も♪
  見方はコチラ↓へ♪ 
 http://blog.so-net.ne.jp/tdr-3d/stereograph
 
  
【ミラー法】
←苦手な方でもきっと見えます♪
 (下の小さい画像をクリックすると、新しいウィンドウで大きな画像が開きます)

 

 



【平行法(小・大)】



【交差法】




ハイ、現在に戻ってきました~。
タイムトラベル&立体でみるTDRの全景、いかがでしたかー^^?
 
 下の写真は、まさに06/11/29に飛行機から撮影した舞浜地区の様子です。
 
 TDL前では立体駐車場が完成し、そして、建設中の「東京ディズニーランドホテル」も、おおよその形が見えてきましたね♪
 
 
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今日は【舞浜】の誕生日ということでそれにちなんだ話題をお届けしてみました♪
(今日はちょっと文字が多かったですね…読みづらかったかもしれません。ゴメンナサイ)

では、また♪ おやすみなさーい(^o^)/


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【引用】  このページの写真は以下の資料の一部分を縮小加工して転載しています。 1974年、1979年、1984年、1989年:「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」  いずれも「東京東南部」、CKT-74-15-C33B-21, CKT-79-4-C15B-26, CKT-84-3-C15-43,CKT-84-3-C15-44, CKT-89-3-C9-42, CKT-89-3-C9-43  1947年:「国土地理院所蔵(米軍1947年撮影)東京地区,M636A-2,281」  2001年:「国土地理院撮影の空中写真(2001年撮影)の東京東南部地区」。今回の記事のネタは、堀貞一郎 著「“感動”が人を動かす」、日経新聞記事「私の履歴書 高橋政知」、浦安市郷土博物館資料、を参考にしています。


nice!(8)  コメント(14) 
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コメント 14

すごい!!勉強になりましたっ
これからもよろしくお願いします(^o^)/
by (2006-11-28 18:11) 

カモさん

◆.ほりさん♪
 こんにちはー!nice!とコメント有り難うございます♪
 1日早いアップでしたが、長文おつきあい頂きうれしいです。
 こちらこそよろしくお願いしまーす♪
by カモさん (2006-11-28 22:12) 

ジョルノ

いや本当にすごいです。
よく調べましたね。かなり勉強になりましたし、とても興味のある内容でした。
名前のエピソードがあったとはまったく知りませんでした(^_^;)
当時のことで知っていることと言えば・・・・噂なんですが、TDLのある土地って坪単価が500円だったということくらいです。情報ソースがあいまいなので違うかもしれませんが・・・(^_^;
by ジョルノ (2006-11-28 22:52) 

Brownie

カモさん、素晴らしい!
次に行くときは「ここら辺は地図で見たあそこかな?いつ頃完成した土地?笑」なんて考えながらランド&シーを楽しみたいと思います(^^
それから今のうちにミッキーマークを見ておけ!ですね。
by Brownie (2006-11-28 23:15) 

Magic-legacy

毎回勉強になります!!
ロストリバーデルタの意味初めて知りました~~~!
こうして歴史を振り返ると今が完成型だ~なんて
思えなくなります。これからの発展がますます楽しみになりました!
by Magic-legacy (2006-11-29 22:43) 

タッキー君

ディズニーランドという名前は駅には使わせてもらえなかったという話は聞いた事があったのですが
他にも、色々とエピソードがあったのですね
カモさんのお陰で、また一つディズニーランド通になっちゃいました (*^_^*)
by タッキー君 (2006-11-30 01:53) 

カモさん

■ジョルノ飛曹長さん♪
 こんにちは!TDRの歴史はプロジェクトXにも匹敵する壮大なドラマの連続だったようです。土地の値段ですが、おっしゃる通り干潟時代は坪あたり720円だったそうです。それが埋め立て完了時にはなんと坪1万7千円、更にTDL開園前には坪80万円に。。。おかげでOLCは二千億円ちかいTDL建設費を償却できたようです。すごい話ですねー。
 
■Brownieさん♪
 こんにちは!私たちゲストは楽しくTDRで遊べれば良いのでしょうが、たまには創り手たちの多大な苦労に思いを馳せるのもよいのかもしれませんね^^
 旧シンボルマークは、私も2箇所くらいしか分かりません。隠れミッキーを探すつもりで探してみましょう(^_^;)。見つけたら教えてくださいねー♪
 
■Magic-legacyさん♪
 こんにちは!もともとディズニーシーはアメリカの海岸沿いにつくるはずで、地元の反対でボツった計画を東京版に焼き直したものなので、ロストリバーデルタは偶然の一致なのでしょう。。。
 新たに11/29の空撮写真を付けました。TDLホテルなど、まだまだ発展していく様子が見てとれます♪
 
■タッキー君さん♪
 こんにちは!TDL駅は結果的にモノレールで使うことになったので結果オーライだったのかもしれませんね^^
 TDLができるまでには、今回のようなソフトな内容から、国会問題になったような壮絶なエピソードまでドラマのような出来事の連続だったようです。。。
by カモさん (2006-12-01 10:09) 

トッポリーノ

こんにちは!初めて知る事ばかりでとても勉強になりました(◎o◎)!!
マイアミ説は知っていたのですが、「舞浜」にはこんな由来があったなんて、驚きです。より一層「舞浜」という名前が好きになりました♪
それにしても≪Disneylando≫ってすごいですね(笑)東京ディズニーランドになって良かったです(^^)v
by トッポリーノ (2006-12-01 16:03) 

mirai

カモさんすごいです~~!!
資料も充実していてエピソードも面白くて講座みたいです。
あ、今度是非ディズニー講座をやってください。勉強しに行きますよ(^^)
それにしてもいろんな歴史があるんですね、知らなかったです。ためになりました。
あと、立体写真もバッチリ見えましたよ~
by mirai (2006-12-01 19:35) 

tomickey

開園当初ってショーベスは無かったんですね!
タイムキーパーってたしか所さんだったような?どんどんと変わっていくのですね~
by tomickey (2006-12-01 21:26) 

disneyworld

いやあ、面白いですねえ。
landoとしたのは、もしかしたら、ディズニーワールドのorlandoが最後にoがつくのに習ったのかもしれませんね。
なんて考えていくと楽しいですね。
by disneyworld (2006-12-01 21:29) 

カモさん

■トッポリーノさん♪
 こんにちは!私は、JRの窓口で「舞浜まで…」というだけでもうきうきしたりします♪今回記事にしてみて私も舞浜という地名が改めて好きになりました。もしディズニーランドォが正式名だったら…略称はDLO?(笑)
 
■miraiさん♪
 こんにちは!講座だなんてとてもとても…(^_^;)。でも、埋め立てに始まり、DLの誘致合戦、スポンサーの獲得、最終契約など、薄氷を踏むようなドラマの連続だったようです。改めて創り手さんたちのご尽力に感謝です♪
 
■tomickeyさん♪
 こんにちは!一見同じような画像でも、年代ごとに見ていくと絶えず変遷しているのですね。例えば、ちょっと細かくみると昔のTDLにはスカイウェイ駅が見えたりもします^^
 タイムキーパーはおっしゃるとおり所ジョージさん、そしてナインアイは斉藤由貴さんでしたよねー♪なんか懐かしいです。
 
■disneyworldさん♪
 こんにちは!なるほどオーランドがあるから~landoという表記の提案が出てきたのかもしれないですね♪楽しいコメント有り難うございます!
by カモさん (2006-12-02 19:37) 

urayasu_papa

カモさん、はじめまして、店員佐藤さんのところから来ました。
舞浜最寄り駅住人ですが、こんな由来と物語があったなんて、感動しました。
また寄らせていただきます。ありがとうございました。
by urayasu_papa (2006-12-12 23:11) 

カモさん

■urayasu_papaさん♪
 はじめましてー!おぉ、もしかして浦安にお住まいなのですね!
 (かなり羨ましいかも…^^)
 舞浜の由来、そしてTDLの由来、年に1回くらいはそんなことを考えてみてもいいんじゃないかなぁ、って思って記事にしてみました♪また、気が向いたときにでもお寄り頂けるとうれしいです♪
by カモさん (2006-12-12 23:29) 

コメント書いてね♪ (でも”http”は書けないみたいだよ。ごめんね、ハハっ♪)

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